私だけ知らない?カンフーの言葉の意味とは

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なぜカンフーと言うのか?

功夫(カンフー)とは、中国の広東省での中国武術の別名のことです。広東語ではグンフー、中国語ではゴンフーと発音したりします。

これが香港のカンフー映画などの影響によって、英語に伝わりクンフー、日本に伝わってカンフーとなったと言われいてます。

日本では、中国の徒手武術(手足をつかう武技)を一般的に「中国拳法」と言いますが、中国国内では通常「拳法」という表現はしません。中国の方たちは カンフーのことを、単に「武術(ウーシュー)」と言います。その他にも、中国の徒手武術のことを「拳術」、「國術」と表現したりします。

もともとカンフーという言葉の意味は、中国武術とはあまり関係なく「長い間、何かを学び続けて習得した優れた技術」という意味です。そのために武術以外のほかの分野、たとえば芸術や料理など技術を高め成熟したことに対して「カンフーがありますね!」などと使ったりもします。

また、日本でいう「流派」のことをカンフーの世界では「門派」という言い方をします。どうしてかというと、その流派を家族や身内と同じように考えているからです。「私もみなさんと、一緒に門(玄関)を、くぐったので、家族の一員になります!」という決意から、このような表現になるようです。
このように一緒に同じ門を、くぐらせてもらい同じファミリーに参加させてもらうことを「入室」といいます。

カンフーの起源と発生

中国武術の起源は、漢王朝の時代(紀元前206年-220年)に 黄河沿いに住んだ人々の、自衛も含めた戦いのための練習から始まったという説があります。
その後、戦いの為だけではなく健康法や娯楽などとして、現在に伝わってきました。

中国武術の門派(流派)は、現在、中国国土の多種多様な民族に比例して、数え切れないほど存在します。
それぞれのカンフーの流派が、自らの起源に関する逸話を持っています。
自らの門派が、より優れたものであることを示すため、伝説上のヒーローや有名人、神仙などを創始者としていますが、事実とは異なるようです。

太極拳創始者の伝説

中国の河南省、嵩山にある少林寺で修行した張三豊(仙人)が、その後に武当山にこもって修行をして、道教の気功法の吐納法(呼吸法)や、導引術(鍛錬法)などと合わせて、内家拳というカンフーを創ったという伝説があります。

ただ、この伝説は少林寺のカンフーより柔らかい体の使い方をして、より洗練されたカンフーであることの主張をしたいが為に、伝説的な仙人の「張三豊」を創始者・開祖として、少林寺でカンフーを会得して流派を立ち上げたという、作り話だと一般的には考えられています。

歴史的にハッキリしている太極拳の発祥は、河南省の陳家溝という村があり、ここで代々、 陳氏一族に伝えられているカンフーが発祥であるという説です。

古いカンフーおそらく同じ中国の河南省にある少林寺のカンフーが、陳氏一族だけに伝えられる内に太極拳というかたちに、独自の発達をしたものであると言われています。その太極拳は、戚継光が著した「紀効新書」の拳経三十二勢から技法が採用されています。

Wikipediaから「張三豊」を引用 2016.04.27現在

張 三豊(ちょう さんぽう 1247年 – ?)は、元・明代に生きた遼東(遼寧省)出身の道士、仙人。字は君宝、幼名は全一。伝説的な人物で、存在したかどうかは定かでない。 しかし、諸事の根拠を明示して論証する学問的態度である考証学の祖である黄宗羲が記した『王征南墓志銘』に張三豊のことを記録しており、その中で内家拳の祖であるなどを記していることから、伝説は多いが内家拳の祖として確かに実在したとする説もある。

登場する歴史資料は『明史』『三豊全集』『広陽雑記』『諸真宗派総簿』『三迤随筆』『淮城夜語•張玄素入点蒼』等。
幼少の頃より、才知が抜群で経典•歴史に精通しており、一度目に通したものはすぐ暗唱できた。体や耳が大きく、ひげが矛のようだった。最初に碧落宮白雲長老に師事し、人格を磨き修養を積んでから、全真教の道士丘処機に学んだという。
1314年(延佑元年)、67歳になったとき、火龍真人に道教を学び不老長寿の術を得る。それから、宝鶏(陝西省)金夢山で道教を研究し「三峰道人」と称したが、「三峰」という言葉があまり縁起がよくなかったので、後に「三豊」に改名した。
1324年(泰定元年)、77歳になった張三豊は武当山に到達。玉虚台で太極剣を研究し、さらに剛と柔の「両儀四象」で太極拳の三功(内丹太極剣三百八十四招、両儀太極拳三百八十四拳、陰陽拳)を創造した。この成功により仙人となる。
仙人になった張三豊は、130歳のときに一度息を引き取るが、埋葬される段階でまた生き返る。
張三豊の名声は朝廷に伝わり、1385年(洪武17年)、明の洪武帝(朱元璋)は137歳になった張三豊を招聘するも辞退される。さらに1417年(永楽14年)に、永楽帝が168歳の張三豊を招聘するがまたも辞退された。

少林拳の創始者の伝説

中国の河南省、嵩山にある禅宗の寺院としても有名な「少林寺」は、武術の修行場所としてのほうが有名なくらいのお寺です。少林寺にカンフーを伝えた起源として、インドから来た達磨(ダルマ)大師がカンフーを始めたという説があります。

達磨大師が、少林寺に来て禅宗の教えをとく際に、少林寺のお坊さんたちの体力があまりにも無く、禅の教えを説くことが出来ない状況をみて、カラダを鍛える秘密の鍛錬法「易筋行」や「洗髄行」を教えてカラダを鍛えたといわれています。
その後、「洗髄行」の教えは途絶えてしまいまったようですが、「易筋行」を元に、少林寺で「十八羅漢手」という カンフーができあがり、これが少林拳の元になったようです。

しかし実際には、達磨大師が少林寺で禅の教えを説いたという伝説があるだけで、カンフーや鍛錬法を教えたというのは後世に作られた、逸話だというのが通説になっています。

Wikipediaから「達磨大師」を引用 2016.04.27現在

菩提達磨(ぼだいだるま、ボーディダルマ)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、いわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
曇林が伝えるところによると、南インドのタミル系パッラヴァ朝において国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣の伝えるところによれば宋_(南朝)の時代(遅くとも479年の斉_(南朝)の成立以前)に中国にやって来たとされている。中国禅の開祖。『景德傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれた。彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』などがある。

カンフーの言葉の意味のまとめ

中国人に「カンフーやっています!」と言っても通じません。
「わたし、ウーシュウ(武術)をやってるのよ」で、ようやく意味が通じます。
自慢できるように、カンフーフィットネス、頑張ってみてください!

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